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名古屋高等裁判所 昭和59年(行ケ)1号 判決

原告

石原瞭

右訴訟代理人

松葉謙三

渡辺伸二

谷口彰一

中谷雄二

被告

三重県選挙管理委員会

右代表者委員長

岡田利一

右訴訟代理人

吉住慶之助

外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の申立

一  原告

1  被告が、昭和五八年九月一一日施行の三重県員弁郡北勢町議会議員一般選挙の効力に関する原告の審査請求に対し、同五九年一月一四日付でした裁決を取消し、右選挙における当選人太田栄太郎の当選を無効とする。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和五八年九月一一日施行の三重県員弁郡北勢町議会議員一般選挙(以下「本件選挙」という。)に立候補した者である。

2  本件選挙の結果、北勢町選挙管理委員会(以下「町選管」という。)は、立候補者二二名のうち、訴外太田栄太郎(以下「訴外人」という。)を含む二〇名の当選を告示した。

3  原告は、昭和五八年九月一二日、町選管に対し訴外人の当選の効力に関する異議申出をしたが、町選管が同年一〇月四日、右異議申出を棄却したため、同年一〇月八日被告に対して審査の申立をし、被告は同五九年一月一四日、右棄却の裁決をした。

4  本件選挙における投票中、原告及び訴外人について別紙投票記載一ないし五の疑問票が存するところ、町選管は同一ないし三を無効とし、同四、五を有効とし、0.276票差(訴外人267.276票。原告二六七票)で訴外人を当選とし、被告は同三のみを無効とし、その余の投票を有効としてやはり0.276票差(訴外人268.276票。原告二六八票)で訴外人を当選とした。

5  しかし、以下のとおり、被告が無効と判断した別紙投票三は原告への投票として有効とすべきであり、被告が有効とした別紙投票二、四は無効とすべきである。

(一) 別紙投票四「前田」について

(1) 有効投票か否かを決定するには、投票用紙に記載された文字自体及び選挙民と町選管の委員の公知の事実のみを判断資料とすべきであり、町選管の一部の委員のみが知つていた事実及び事後に証拠調をしなければ確定できない事実を判断資料とすべきではない。

(2) 町選管は、「前田」という投票を有効と判断する根拠として、訴外人の旧姓が前田であつたとか、前田新聞店を経営していたとか、前田淳作のペンネームで員弁新聞を発行していたとの事実を挙げるが、右は三〇年も前のことであつて町選管の委員全員が知らなかつたことであり、たまたま北勢町の課長が訴外人の旧姓が前田であつたと言いだして有効となつたものである。このような曖昧で証拠調をしなければ確定できない事実に基づき、しかもこれといつた証拠調をすることなく投票を有効とすることは、結果の不公正を来たす可能性が極めて大きい。

かりに町選管が証拠調をしたとしても、その手続は裁判所におけるように公正さを担保できるものではない。

(3) 被告も、訴外人の旧姓が「前田」であつたことなど、いずれも三〇年も前のことを持ち出して右投票を有効とする理由としているが、いずれも決定的な理由にはなりえない。

「前田」だけで訴外人を特定できるというためには、現在、訴外人を多くの人が「前田」と呼んでいるかどうか、すなわちこれが通称といえるかどうかが問題である。被告のいう根拠は、訴外人のことを「前田」と呼ぶ人もいるというにすぎず(これもどのような証拠に基づくか疑問)、「前田栄太郎」と名まで書いてあるのであればともかく、三〇年前の旧姓のみの記載では、とうてい訴外人とは特定できるものではない。

訴外人が「前田」という通称を町選管に届出ていない点からも「前田」は通称ではないと判断せざるをえない。

(二) 別紙投票三「黒田りよう」について

「黒田りよう」と「石原りよう」とは名において同一であり、他に「黒田」という氏の候補者も「りよう」という名の候補者もなく、混同はない。よつて、右は「石原りよう」に投票したものと考えるのが相当である。

(三) 別紙投票二「上田栄太郎」について

「上田栄太郎」と「太田栄太郎」とは氏の一文字が違うだけであるが、本件選挙には「上田修」という候補者がおり、氏と名において二人の候補者の混記があり、「上田栄太郎」を「太田栄太郎」の投票と認めることはできない。

6  別紙投票一「藤原瞭」について

「藤原瞭」と「石原瞭」は、「藤」と「石」の一文字が違うだけで、本件選挙には「藤原」の氏あるいは「藤」の字のつく候補者はなく、「原」の字のつく候補者も原告だけであり、他の候補者との混同のおそれは全くない。

「藤原」と「石原」とは、仮名書で「ふじわら」と「いしはら」となり「ふ」と「い」の一字しか違わないし、「瞭」という名も珍しく、原告に投票したと考える以外にない。

被告は、裁決において「藤原瞭」を原告への投票として有効としながら、本訴においてこれを翻えし、後記のとおりこれを無効と主張するのは矛盾していて許されない。

7  以上のとおり、原告の得票数は二六九票となり、訴外人の得票数は265.276票となるから、本件裁決は取消されるべきであり、訴外人の当選を無効とすべきである。

二  被告の主張

1  請求原因1ないし4の事実は認める。

2  同5の主張は争う。

(一) 別紙投票四「前田」にっいて

訴外人は、大正一五年二月一四日三重県員弁郡北勢町、旧治田村大字麓村において前田米吉の三男として出生以来、昭和二七年二月四日、同じ旧治田村大字東村の太田はるえとの養子縁組(翌日に養母の二女太田春子と婚姻届出)によつて太田姓を名乗るまで「前田」姓を称していただけでなく、右改姓当時は「前田淳作」の筆名で地元新聞の記者又は編集人等として文筆活動をし、郷土の員弁名鑑に「前田栄太郎」の氏名が掲載されるなど郷土人の間では広くその名を知られたいわゆる知名人であつた関係で、右改姓後も当時経営していた前田新聞販売店の看板をそのまま継続して使用し、事業の取引先との間で旧姓を使用していた。

また、訴外人の父前田米吉は、昭和二二年四月から四年間、当時の治田村の議会議員を勤めるなど郷土における有名人であつたため訴外人はその息子としても知られ、改姓後も父親の知人等からは「前田さんの息子さん」と呼ばれ、特に氏を呼ぼれる場合も「太田」よりも「前田」と呼ばれることが多かつたほか、現在でも知人の間では旧姓の「前田」と呼ぶ者が少くない。

さらに、本件選挙の際は、旧治田村に居住している前田姓の一族(八世帯)の多くが選挙運動を手伝つたほか、それらの者が「栄太郎をお願いします。」と氏を省略して連呼していたこと、本件選挙においても別紙投票五のように訴外人の氏を「前田」と誤記したと認められる「前田栄太郎」と記載された投票が存在すること、「前田」又はこれに類する氏の候補者は存在しないことなどを総合して考えると、「前田」とする投票は、旧姓を誤記したものと解するのが相当であるから、訴外人に対する有効投票と認めるべきである。

(二) 別紙投票「黒田りよう」について

「黒田」との投票の書体は相当達筆で明確に「黒田」と記されており、「石原」とは二字とも異り、しかも字形、字音を異にして両者の間に類似性はなく、選挙人は原告に投票する意思で「黒田」と誤記したものとは到底解されないから、右投票は無効投票と認めるべきである。

(三) 別紙投票二「上田栄太郎」について

右投票記載と「上田修」の氏名を対比すると氏において一致しているものの名は三字と一字であり、発音も異つていて類似性がない。

また、右投票記載と訴外人の氏名とを対比すると、訴外人の氏の第一字目の「太」と「上」の一字に違いがあるだけであつて、全体として訴外人の氏名に視感、音感上も近似している。

のみならず、右投票記載の第一字目を見ると、果して「上」と認められるかどうか疑問であつて、むしろ「前」の字の上半分である「」と記載されていて下半分である「」の部分を書き忘れたものと認められるのであつて、この点は、それに続く「田栄太郎」の四字の字形、くずし方、筆癖からも窺うことができる。

以上を総合すると、選挙人は訴外人に投票する意思で「太」の字を書き誤つたか、「前」の字の下半分を書き忘れたと認めるのが相当であるから、右投票は訴外人に対する有効投票と認めるべきである。

3  同6の主張は争う。

被告は、本件裁決において別紙投票一「藤原瞭」との投票を有効と判断したが、「藤原」と「石原」とは文字の字画の数、字形、字音等が異るほか、右投票記載の運筆、字体、筆致等からみて相当達筆の人が精神的にも余裕をもつて書いたものと認められ、「石原」の誤記でないことが明らかであるから、これを無効とすべきものと解する。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一請求原因1ないし4の各事実は当事者間に争いがない。

そこで、本件選挙における投票のうち原被告間で効力に争いがある別紙投票一ないし四につき検討する。

1  別紙投票四「前田」について

〈証拠〉を総合すると、訴外人(太田栄太郎)は大正一五年二月、前田米吉の三男として三重県員弁郡治田村大字麓村で出生し、昭和二七年二月、隣り部落である同村大字東村の太田はるえとの養子縁組によつて太田姓に改姓するまで前田姓を名乗つていて、その間、兵役及び就職によつて合計三年間程度郷里を離れたことがあるほか二十数年間にわたつて同村に住んでいたこと、訴外人は、昭和二五年一〇月頃から同村大字東村において前田新聞舗の名称で新聞販売店を経営していたが、右養子縁組後も右名称のまま同じ場所で同店の経営を継続(同三二年一〇月頃まで)したこと、また訴外人は右養子縁組当時、女性四人を使用して個人で手袋編み工場を経営していたが、昭和四〇年に右廃業に至るまで前田姓を使用して取引を行つていたこと、訴外人は、昭和二四年頃から前田淳作のペムネームで地元紙である員弁新聞に記事を書くようになり、同三二年一一月には右ペンネームのまま同新聞の編集発行人となつて同三五年一〇月頃まで右発行責任者であつたこと、訴外人は昭和二五年八月刊行の「員弁年鑑」、同二八年八月刊行、同五七年三月復刊の「治田村誌」、同二九年九月刊行の「員弁郡略史」、同三〇年三月刊行の「員弁の伝説」の編集等に関与し、それぞれ前田淳作もしくは前田栄太郎の名前が記載されていること、訴外人の実父前田米吉は前記治田村において昭和二二年から四年間村会議員をつとめたことがある地方の知名人であり、訴外人も他から「前田さんの息子さん」と呼ばれたことがあつただけでなく、現在も同地域の年輩者からは「前田」又は「栄太郎」と呼ぼれることが多く、また小学校の同級生や昭和一五年から同二三年まで勤務したことがある三岐鉄道のもと同僚からは「前田」と呼ばれており、同訴外人方に出入りのクリーニング店も訴外人から預つた洗濯物に「マエダ」のネームの縫い取りをしていることなどの事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、候補者制度をとる現行の公職選挙制度のもとにおいては、特段の事情のない限り、選挙人は候補者に投票する意思をもつて投票したものと推認するのが相当というべきであるから、前認定の事実、ことに訴外人が養子縁組前の二十余年にわたつて「前田」姓を名乗つていただけでなく、太田はるえとの養子縁組後においても「前田」姓を使用して文筆活動や商取引を継続し、その実父が知名人であつたことも相侯つて、いまだに同人に対して「前田」の氏を使用する者があること、本件選挙においては「前田」又はこれに類似する氏の候補者は居ないこと、本件選挙において別紙投票五のように「前田栄太郎」との投票もあることなどの事情を考慮すると、別紙投票四の「前田」との投票は、訴外人に対する投票の意思をもつてされた有効な投票と解するのが相当というべきであつて、これと趣旨を異にする原告の主張は採用することができない。

2  別紙投票三「黒田りよう」について

別紙投票三の「黒田りよう」との記載は、原告石原瞭と名において字音は一致するものの、氏においては漢字の二字とも異るだけでなく、字形、字音のいずれにおいても類似性がなく、それぞれの氏名を全体としてみた場合においてもかなり異るものといわざるをえない。したがつて、かりに名の部分における字音の合致があつたとしても、これを全体としてみた場合、選挙人が原告石原瞭に投票する意思をもつて「黒田りよう」と投票したものとは到底認め難く、右投票は候補者中の何びとの氏名を記載したかを確認し難いものとして無効と解するのが相当である。

3  別紙投票二「上田栄太郎」について

〈証拠〉によれば、本件選挙においては「上田修」との氏名の候補者があつたことが認められるが、右氏名と別紙投票二の「上田栄太郎」との氏名を対比すると、氏において一致するものの、名において字数、字音は全く異つていて類似性がない。これに対して、右投票の記載と訴外人太田栄太郎の氏名とを比較すると、氏における第一字を異にするだけでその余の四字が同一であつて、全体としてみれば、右投票の記載はむしろ訴外人(太田栄太郎)の氏名により近いとみることができる。投票を候補者の氏名を混記したものとして無効とするのは、いずれの候補者の氏名を記載したのか全く判別し難い場合に限るべきであつて、その他の場合には、いずれか一方の氏名にもつとも近い記載のものをその候補者に対する投票と認めるのが相当というべきであるから(最高裁昭和三一年(オ)第一〇二四号同三二年九月二〇日第二小法廷判決・民集一一巻九号一六二一頁、同昭和四五年(行ツ)第五二号同年一〇月二三日第二小法廷判決・裁判集民事第一〇一号一七九頁参照)、その観点から前記投票二をみるならば、選挙人は訴外人(太田栄太郎)に投票する意思をもつて氏のうちの第一字を誤記して右投票をしたものと認めるべきであり、したがつてこれを同訴外人に対する有効投票と解するのが相当である。

4  別紙投票示一「藤原〓」について

別紙投票一の記載は名の部分が原告石原瞭の名と異つているが、全体の字画からみて瞭の字に類似していてその誤記と認めることができる。そうすると、右投票の記載は氏の第一字を除き、原告石原瞭の氏名の三字中の二字と合致し、また「藤原」と「石原」とは「ふじわら」と「いしはら」というように音感上も近似しているほか、本件選挙には藤原又はこれに類似した氏の候補者は存しないことなどを勘案すると、前記3に説示した場合と同様、選挙人は原告石原瞭に投票する意思で氏名のうちの第一字「石」を「藤」と誤つたものと認めるのが相当であるから、これを原告に対する有効投票と認めるべきである。

二以上の次第で、別紙投票一ないし四(同五が訴外人に対する有効投票であることについて当事者間に争いはない)のうち、別紙投票一は原告に対する有効投票、同二、四は訴外人に対する有効投票、同三は無効投票ということになるから、結局、本件選挙における訴外人の得票数は268.276票、原告の得票数は二六八票であつて訴外人の得票が上回ることが明らかであり、その趣旨の被告の裁決は、これを相当として肯認することができる。

よつて、本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(可知鴻平 石川哲男 鷺岡康雄)

別記投票

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